昭和16年開設の行岡外科病院附属関西看護婦学校から続く
看護師教育は、
時代の変遷に合わせ、
学びの内容を変更しながらも現場で活躍するための
応用力の習得を目指し、
臨床実習に重きを置き続けています。
知識を得るための学習だけでなく、
体験がもたらす理解を両軸とした教育方針は
行岡保健衛生学園全体の方針ですが、
多くの学生を迎え、
送り出してきた行岡医学技術専門学校が
最も体現していると言っても過言ではありません。
当校は系列である行岡病院と隣接しており、最先端の技術と経験豊富な医療の専門家による高度な学習環境が整っています。また普段から患者様の姿を目にし、リアルな医療現場を肌で体感することが出来るので、医療人としての自覚とプライドが自然と身につきます。
国家試験に合格するための基礎学力と豊富な臨床実習により、高水準の国家資格合格率を維持し続けています。また、行岡病院をはじめ多くの病院・医療施設と連携し、学生一人ひとりが希望に沿った職場で働けるための充実したサポート体制により、就職率100%を実現しております。
「実習」=「現場を体験する」ということは、医療を学ぶ上でとても大切な要素です。さらにその体験が早ければ早いほど、学びの経験値が飛躍的に伸長します。当校は入学早期より実践的な実習を行い、確かな技術と豊かな人間性を兼ね備えた医療のプロを育てます。
看護実習室
基礎実習室
実験室
図書室
学生休憩ホール
昭和7年11月
大阪接骨学校設立認可
昭和8年10月
大阪接骨学校 開設
昭和9年10月
大阪接骨学校附属行岡外科病院 開設
昭和16年2月
行岡外科病院附属関西看護婦学校 開設
昭和23年7月
財団法人行岡保健衛生学園 設立
大阪接骨学校を日本高等整復学校に改名
大阪鍼灸マッサージ学校 開設
昭和24年2月
日本高等マッサージ学校に改名
昭和25年2月
大阪労働衛生管理者学校 開設
昭和25年12月
行岡外科病院が、医療法人行岡医学研究会行岡病院となる
昭和26年4月
大日本レントゲン学校 開設
昭和27年4月
関西看護婦学校が大阪准看護婦学校となる
昭和29年12月
財団法人行岡保健衛生学園が学校法人行岡保健衛生学園となる
昭和37年3月
大日本レントゲン学校が日本医学技術レントゲン学校となる
昭和38年4月
日本医学技術レントゲン学校に医学技術科(衛生検査)を増科
昭和40年4月
日本医学技術レントゲン学校が日本医学技術学校となり、
医学技術科を衛生検査科と改名し、なお歯科技工科を増科
昭和40年8月
日本医学技術学校へ、歯科衛生科を増科
昭和45年3月
日本医学技術学校へ、リハビリテーション科・高等看護科を増科
昭和45年9月
日本医学技術学校へ、放射線専攻科を増科
昭和46年3月
衛生検査科が臨床検査科となる
昭和46年8月
大阪准看護婦学校を、日本医学技術学校へ、准看護科として増科
昭和51年10月
専修学校制度により、専門学校としての認可をうけ、
行岡医学技術専門学校に校名を変更
昭和63年4月
行岡医学技術専門学校より、近畿医療技術専門学校に校名を変更
(放射線科・臨床検査科)
平成5年4月
行岡整復専門学校 茨木校舎へ移転
行岡リハビリテーション専門学校 開設
平成11年4月
行岡医学技術専門学校 看護第1学科を増科
平成12年3月
行岡医学技術専門学校 准看護科 閉科
平成12年4月
行岡整復専門学校 整復科夜間課程 増設
平成13年4月
行岡鍼灸専門学校 鍼灸科夜間課程 増設
平成14年4月
行岡リハビリテーション専門学校
理学療法学科夜間課程 増設
平成16年3月
行岡医学技術専門学校 歯科技工科 閉科
平成18年3月
近畿医療技術専門学校 臨床検査科夜間部 閉科
平成19年3月
近畿医療技術専門学校 放射線科夜間部 閉科
平成21年3月
行岡整復専門学校 整復科夜間部 閉科
平成21年4月
行岡整復専門学校 本庄校舎へ移転
平成24年3月
行岡リハビリテーション専門学校
理学療法学科 夜間部 閉科
行岡医学技術専門学校 看護第2学科 閉科
平成24年4月
大阪行岡医療大学 開設
平成25年9月
行岡鍼灸専門学校、行岡整復専門学校、近畿医療技術専門学校を統合し、
大阪行岡医療専門学校長柄校に校名を変更
平成27年8月
行岡医学技術専門学校(本庄新校舎)竣工
令和4年3月
整復科 閉科
学びやすさも、通いやすさも。
〒531-0074 大阪市北区本庄東1-13-11
※駐車場はございません。お車での来場はご遠慮ください。